いったい、多くの人々の常識の中には、不平不満を言うということは、人生少しもはずかしいことでなく、むしろ、当然のことで、かつまた、人間共通的のことであるように思考しているけいこうがある。
中には、人間が不平不満を感じ、かつこれを口にするからこそ、人間世界に、進歩とか向上とかいうものが、現実化されるのだというような極端な誤解を、誤解と思っていない人すらある。これは、ちょうど、疑うからこそ、正邪の区別や、普通では、理解することのできない真理も、発見できるのだという考え方と同様の誤解である。
というのは、不平や不満を口にする悪習慣は、人にいたずらに煩悶や苦悩を心に多く感ぜしめるだけで、それ以上人生に、価値ある収穫を招来しないということに想到すると、それが誤解の証拠であると必ず考えられるからである。